ぼく個人のFacebookには、亡くなった人が2人いる。いや、もしかしたらもっといるのかもしれないけど(そう考えたらぞっとした)今のところ2人だ。
3月になると、そのアカウント2つともに「誕生日おめでとう」のコメントが並ぶ。
なんだか、つい見に行ってしまう。そして心がざわざわする。
ざわざわする気持ちと、Facebook追悼アカウントという機能について書きます。
1人は有名人、1人は仲良くなりたかった人だった
亡くなった人。1人はGLAYやジュディマリのプロデューサーの佐久間正英さん。もちろん知り合いではないけれど、無くなる前からTwitter、Facebookで活動を見ていた。毎日SoundCloudに曲を作ってアップするおやすみ音楽を1000日間やっていたり、数百円で作ったエノキダケマイクが音が良い!と書いてみたり。音楽のプロのリアルを覗けた気がして楽しかった。ぼくもエノキダケマイク作りましたよ。
もう一人は仲良くなりたい人だった
もう1人は、とあるプロジェクトで一緒だった人だった。
プロジェクトが終わったあと、お互いを褒めながら「またなにか一緒にやろう」と言ったはずなのに、いつのまにかいなくなっていた。
誕生日おめでとうに、深いコメントが付く
亡くなったのに気づいたのは、その人の去年の誕生日。
「最近投稿がないな」と思っていたけど、誕生日を祝うコメントの異変で気づいた。
もちろん気づいていない人もいる。「今年もがんばろう」とか「最近どうしてる?」とか。そういうのを見ると、なんだかザワザワする。
どっちかというと「あっちでも元気してるか?」を見た時の方が気持ちが荒れない。でもどっちにしてもあんまり見てもいいことがない気する。でもたまに見ちゃう。
Facebookには追悼機能がある
ざわざわが抑えきれず、みんなSNSで亡くなった人のことのことをどう思っているんだろうと検索してみた。
すると、Facebookには追悼機能というものがあることを知った。
追悼機能というのは、名前の横に追悼と表示される機能のことらしい。
Facebookのページにはこう書いてあった。
追悼アカウントとは、利用者が亡くなった後で友達や家族が集い、その人の思い出をシェアするための場所です。アカウントを追悼アカウントにすると、他のユーザーがアカウントにログインするのを防いで、情報の安全を確保できます。
そしてリクエストページがある
これは書けないな…
もっと親しい人だったら、追悼アカウントリクエストを送るだろうか…
たしかに、親しい人がなくなったのに、それに気づかない人が、誕生日おめでとうって言ってるのは、いい気持ちがしないだろうなー。
でも、これを追悼リクエストするのは、悪いことを告げ口をしているようで無理じゃないでしょうか?…
悲しむ必要がない人を、悲しませるような気がする。やってはいけない告げ口をしてるような気がしませんか?