デザイナーのベーコンです。
先日Twitterでこんなことを書いて反響をもらいました。
好きなことを仕事にすると嫌いになるのは、「ユーザー」から「制作者」になる場合って話がどっかにありましたね
実は「好きなこと」よりも「得意なこと」をするほうが、ずっと人生は楽しい。 https://t.co/i2P2Dez1mb— ベーコン@はてなブログとデザイナー (@dogdog464646) 2016年11月4日
音楽聞くのが好きな人が、作る側に回ると楽しくなかったりする(こともある)って話
— ベーコン@はてなブログとデザイナー (@dogdog464646) 2016年11月4日
ぼくは1番好きな仕事をすると不幸になるなんて嘘だと思っています。
今日はそんな話です。
そもそも、「好きな仕事をすると不幸になる」って誰が言い始めたのでしょう?
なんか、救急車の音を聞いた時、親指を隠さないと親の死に目にも会えないみたいな話です
そんな根拠もない話で、子どもに悲しい思いさせる必要ないですよね。
「1番好きな仕事を〜」もそんなレベルの話だと思うんですよね。
1番好きなことを仕事にすると嫌いになるのは、「消費者」から「制作者」になる場合という話
音楽とかだとわかりやすいですよね。
みんな大抵は聴く側からはいります。
で、ミュージシャンになりたいと思ったけど、あんなに楽器の練習をしないといけないのなら好きな音楽を聴いてるほうがいい。
(つまり)わたしは、音楽を「聴く」のが好きだったんだ!
この場合は、音楽を「制作する」のが仕事になった場合不幸になってしまうかもしれません。
つまり、よく言われる「1番好きなことを仕事にすると嫌いになる」っていうのは、「消費者」から「制作者」になる場合にありえるということです。
そもそも制作者をやりたいと思っている人は、不幸にはなりません。
そりゃあうまくいかなくて、不幸になる可能性はあるかもしれないけれど、それはどの仕事を選んでも同じです。
なぜか、好きなことを仕事にすることが根拠も無く「悪」になっていることは良いことだとは思えません。
だから好きなことをやればいいけど、みんな悩みがち
そう、好きなことをやって良いんです!
でもみんな悩みがちですよね。
これはこれで不幸です。
「制作者にはなりたいけど、本当に好きかわからない・・・」
そうやって次々に悩みます。
でも、気持ちってそんなに割り切れるものでしょうか。
わたしは、100%音楽を聴くのが好きな人です!ってなかなか言い切れるもんじゃないです。
現在「制作者」の人だって、「制作者」が楽しい!って気持ちが100%だけではありません。
例えばミュージシャンの場合
・目立ちたい
・お金持ちになりたい
この気持ちがあるに決まっています。純粋に音楽を作りたい気持ちと、目立ちたいの割合が何%ずつあるかなんて本人にもわかりません。
気持ちは変わるし、そもそも目に見えない曖昧なものです。
好きの内訳って簡単にはわかりません。
向いているか向いていないか
好きな仕事=向いている仕事
という考え方もあります。
「この仕事が好き」は自分の中で決めることです。
しかし「この仕事が得意」は自分だけでは決めづらいです。
自分の頭だけではダメなんです。
それは、仕事は自分だけでやることじゃなくて、人に評価されてはじめて成立するものだからです
「自分に向いている」も含めて「この仕事が好き」という感覚が作られることも多いと思いますのでチャレンジをしてみて、自分がこの仕事に向いているのかというのは考えてみるのがいいと思います。
やれるだけやったほうが良いに決まってる、そして諦めるならすっぱりやったほうが良いに決まっている
色々書きましたけど、悩んでも意味ないんですね。
この記事読んでいる人は、好きな仕事について考えていたり、好きな趣味を仕事にして嫌いになったら嫌だなーとか思っている人が多いだと思いますが、そんなこと悩んでもしょうがないです。
大きく悩んで疲れるなら、チャレンジして諦めるくらいすっぱり傷ついて辞めた方がマシです。
というかやっていないなら、やったほうが良いに決まっているし
挑戦したほうがいいに決っていますよ
そのもやもやした気持ちを、酔っ払った夜も、寂しい一人の夜中も、割り切れない気持ちと同居して過ごしていけるならいいですよ。
でもそんな人ほとんどないですよね、できたらそれだけで才能です。
普通は迷います、そして迷うと疲れます。
疲れるとめんどくさくなってまたチャレンジから一歩遠のきます
なので、悩む前に動き出すのが1番です。
結局、好きも嫌いも得意も不得意もやってみないとわからないんですよね。
そして動くと、ちょっとしたことで嫌いなものも好きになるかもしれないんですよ。
だからまずやってみたらいいのになあと思います。
そもそも、憧れている仕事ってって、いつから憧れてますか?
前世から好きだったような気がするけれど、よく考えると「落ち込んでた時に救ってくれたのが音楽だったからミュージシャンになりたい」とか「小さい頃作った料理を、両親が褒めてくれたから飲食業をやりたい」とかがキッカケでなにかが好きなることや憧れることって多いですよね。
でも、それも当時はすごい衝撃だけど、今となっちゃ大した理由じゃなくないですか?
ほら、好きさえ曖昧なものなんだよ、たいした根拠じゃないないんだよ。
それでも好きなんだからしょうがない。←これが大事でしょ
だからこそ今、やるかやらないか選べる状況を持っているならやるしかないよね。
なぜなら、やってみないとわからないから
もし、やるかやらないか選べない状況だとしたら、すっぱり諦める方法を考えて今幸せになって欲しい。
死ぬ前に語られる後悔
最後に「ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」」というお話をご紹介します。
ナースが聞いた死ぬ前に語られる後悔の1つはこれです。
もっと自分らしく生きればよかった
そう、みんなやりたいことをやれなくて死ぬ前に後悔してるんです
でも、ぼくたちは、まだギリギリチャレンジすることに間に合った、ラッキー!
ちなみに「死ぬ前に語られる後悔」の1つに「あんなに一生懸命働かなくても良かった」というのもあります。
好きな仕事でもバランスが大事。
チャレンジは大事だけど仕事のしすぎは気をつけましょう、嫌になったら逃げればいいし。
最後に「死ぬ前に語られる後悔」をもう一度
「もっと自分らしく生きればよかった」
「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
「友人関係を続けていれば良かった」
「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
読んでいただきましてありがとうございました。
あとがき
ぼく、こういう話、たまに知り合いとかにも話します。
なんかこういうスイッチがあるんですよね、情熱の押しつけですよね。
なんでこんな情熱押し付けるんだと考えたらわかりました。
たぶん僕は仲間が欲しいんですね、「俺は自由だー」にプライドを持って一緒に戦える人を。
別に誰がどんな仕事をしようとそれも人生だけど、ぼくの人生も自由ですから